2024年1月13日(土)放送の日テレ番組「アナザースカイ」で、女優の木村多江さんが特集されます^^
番組では、木村さんが2歳まで住んでいたというシンガポールや父親などご家族の事について紹介されます!
和服が似合う木村多江さんですから、むかしシンガポールに住んでいたというのはなんだかイメージと違って驚きですね!
お父様のお仕事の関係でしょうから、どんな職業だったのかも気になります。
そこで今回は、
- 木村多江のシンガポールの家について
- 木村多江の父親の職場や職業
- 木村多江の家族構成(母親・兄弟)について
を調べ情報をまとめてみました^^
是非ご覧ください♪
※こちらの記事は番組放送前にまとめたものなので、番組放送後詳細が分かり次第内容を追記していきたいと思います!
木村多江のシンガポールの家の場所はどこ?
木村多江さんが2歳半まで住んでいたのは、シンガポールの「オーチャード」という場所の近所だったそうです。
グランドハイアットという所の裏にあるキムシアコートで幼少期を過ごしたそうです↓↓
オーチャードは
- シンガポールで有名なショッピングエリア
- レストランやカフェで多くの人で賑わう
- 高級ブランド店や大型デパートがいくつもある
- 金融企業やグローバル企業も多く立ち並ぶ
ということで、日本人の移住者にもとても人気な場所!
ですが、その分お家賃も高額で1Kで40万円もザラのようです・・・!
木村さんが住んでいたキムシアコートの当時の家賃は不明だったのですが、家族で暮らせる広さという事はお値段ももっと跳ねあがりそうですよね。
子供がいる場合のシンガポールでの生活費は、最低でも月に50~60万円とも言われており、ある程度高収入であるか会社などからの援助がないと暮らしていくのは難しそうです。
ちなみにシンガポールは都市国家といって、都市がそのまま国として独立しているため、一般的に言われる“国(国家)”とは少し違います。
国家というといくつも都市が点在しているものですが、都市国家は一つの都市自体が国家として機能しているので他の都市は存在しません。
そのため面積としては広くなく、シンガポールは東京23区と同程度の大きさで世界で2番目に人口密度の高い国として有名です!
マレー系、インド系、その他アジア系やヨーロッパ系と他民族が共存しそれぞれ相互尊重しあっている文化なので、木村さんも幼少期は色んな民族の方に囲まれてそだったのでしょうね^^
木村多江の父親の職場の場所はどこ?
「アナザースカイ」番組内では、木村多江さんの父親の職場を訪れるという内容ですが、どんな職場だったのでしょうか。
現段階ではまだ詳細は分からないのですが、シンガポールの自宅が「オーチャード」であることや、その付近に日本企業の海外支店も集中していることから、父親の職場もオーチャード付近なのではと思われます!
オーチャードロードと言われる大通り沿いには、たくさんの日本企業が並んでいるそうですよ^^
シンガポールのフィッシュボールとは?
番組内で木村多江さんの父親の職場で堪能して“フィッシュボール”なる食べ物、日本では聞き慣れないグルメなので少し調べてみました!
フィッシュボールはシンガポールのローカルフードで、魚のすり身をボール状にしてスープや麺と一緒に頂く人気グルメだそうです。
ぷりっぷりの触感と、これでもかというほどの出汁がきいた絶品スープが特徴なんだとか!
考えただけでも美味しそうですね~^^
ホーカーズという、露店の屋台が集合したフードコートのような場所で食べる事ができて、値段は日本円で数百円で食べられるので比較的リーズナブルですね!
お店によって使う魚が違うようですが、高級魚だとその分お値段も上がるようです。
ぜひ一度食べてみたい一品です!
木村多江の父親
木村多江さんの父親は「優しさもあるが厳格な人」だったそうです。
- 人を楽しまる事が好きだった
- 木村さんが18歳の時門限を破ると玄関前で仁王立ちしていた
- 木村さんが長電話していると電話線を抜かれた
- それでも懲りずに電話してると最終的に電話線を切断された
と言ったエピソードも。
木村さんの女優としてのお仕事も応援していたわけではなく、舞台の専門学校に入るのにも反対されていました。
木村さんは「私が父にストレスをかけてしまったのではないか」と打ち明けていた事もあり、自責の念を抱えていたようです。
昭和に代表されるような厳格な父親像が浮かんできますね。
木村多江の父親の仕事や年収は?
木村多江さんは過去のインタビューで父親の仕事について
海外を駆け回る営業マンだった
と語っています。
アナザースカイの番組内では、“シンガポールのチャイナタウン”として知られる『珍珠坊』付近で液化天然ガスの備蓄設備の建設の仕事をしていたそうです。
20代にして建国間もないシンガポール駐在の初代所長として赴任していたということで、とても優秀な方だったことが伺えますね!
具体的な会社名などは話されていませんでしたが、海外営業で天然ガスを取り扱うというと、海外に支店があるような大手商社にお勤めだったのではないかと推測できます。
代表的な企業で言うと
- 三菱商事
- 伊藤忠商事
などがありますが、その他にも100年以上の老舗商社など様々シンガポール進出しています。
ちなみに三菱商事を例にとって海外駐在員の年収を調べてみたのですが、
年収2000~3000万円台
などサラリーマンとしては最高峰レベルの収入になるようです!
例として挙げたのは最高レベルの年収ですが、その他の企業であっても海外駐在であれば1000万円ほどの年収があってもおかしくありません。
木村多江さんの父親は非常にエリートサラリーマンであったという事が分かりますね^^
木村多江の父親の死因
実は木村多江さんの父親は、木村さんが21歳の時に49歳という若さで亡くなっています。
そして、ご病気だったのか事故なのかという死因については明かされていません。
お仕事の会食中に急に倒れ、そのまま帰らぬ人となったそうです。
急死であったという事で心筋梗塞やくも膜下出血などが思い浮かびますが、これらは過労によって引き起こされることも多いんだそう。
情報を調べていく中で、一部では「過労」が原因だったのではとも言われています。
お仕事が海外を飛び回る営業マンという事で、疲れやストレスが溜まっていたのでしょうか。
この若さで急にお亡くなりになるなんて、残されたご家族を思うととても心が痛みます。
木村多江の家族構成は?
最後に、木村多江さんのご家族についてご紹介したいと思います。
木村多江さんの家族構成は
- 父親
- 母親
- 弟
の4人兄弟だったようです。
母親と弟さんについて分かった事をご紹介しますね^^
木村多江の母親
木村多江さんの母親は「とてもおおらかな人」だそうで、細かく真面目な性格の多江さんとは何かと衝突することもあったんだとか。
でも基本的にとても優しい母親で、早くに夫を亡くしても苦労ひとつ子供に漏らさない強い母親でもあったそうです。
左の女性が木村多江さんの母親だそうですが、目元が木村さんそっくりですね!
そして父親もイケメン・・!
ちなみに、木村さんは母親の「コロッケ」と「ロールキャベツ」が大好きで、今でも無性にたべたくなるそうです!
お料理上手なお母様だったんですね^^
木村多江の兄弟は弟が一人
木村多江さんには弟が一人いらっしゃるようですが、あまり弟さんに関する情報が見つけられませんでした。
ただ、
- 子供のころ一緒に木登りを下
- 姉弟で漫才をして親戚の前で披露した
といった幼少期のエピソードがあり、非常に仲が良かったそうです。
お父様が無くなったのは弟さんがまだ学生の頃だったといいますから、一家の長男として母親と姉を早くから支えてこられたのではないでしょうか。
きっと家族想いの弟さんなのだと思います!
まとめ
以上、ここまでをまとめると
- 木村多江のシンガポールの家は「オーチャード」付近にあるキムシアコートだった
- 日本人に人気のエリアで家賃は1Kで40万円もザラ
- 木村多江の父親の職場も「オーチャード」から2㎞ほどのにあるチャイナタウンの『珍珠坊』付近
- 木村多江の父親は厳格で昭和の父親像を彷彿とさせる
- 職業は海外を飛び回る営業マンで、液化天然スの備蓄設備の建設の仕事をしていたことから大手商社勤務だったと推測
- 母親はおおらかで木村さんとは性格が反対
- 弟が一人いるが情報が少なく、幼少期にとても仲が良かったことのみ判明
となります!
和風美人のイメージである木村多江さんがまさかシンガポールに住んでいたとは意外でした!
厳格ながら優しい父親と、性格は反対だけど優しくて強い母親、家族想いの弟さんに囲まれてとてもよいご家族だったこともわかりましたね^^
その他この記事内容について新たな情報が分かりましたら、追記していきたいと思います!。
ここまでお読み頂きありがとうございました♪
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